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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)8936号 判決 1963年5月29日

原告 森本和行 外三名

被告 高崎貨物自動車株式会社 外一名

主文

被告らは各自原告森本和行、同森本周作、同森本玉子に対し各金五八四、四七八円、原告森本としに対し金五〇、〇〇〇円ならびに右各金額に対する昭和三五年一一月四日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告森本和行、同森本周作、同森本玉子の被告らに対するその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告らの負担とする。

この判決は、原告森本和行、同森本周作、同森本玉子において被告らに対し各金一〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、右原告ら勝訴の部分に限りその原告のためその被告に対し、原告森本としについては担保を供することなく、それぞれ仮に執行することができる。

事実

車告ら訴訟代理人は、「被告らは各自原告森本和行、同森本周作、同森本玉子に対し各金六〇二、八〇〇円、原告森本としに対し金五〇、〇〇〇円ならびに右各金額に対する昭和三五年一一月四日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」旨の判決および仮執行の宣言を求め、請求の原因として、

一、被告高崎貨物自動車株式会社(以下被告会社と略称)は、自動車による貨物の運送事業を営む会社であり、被告高橋定秋は、被告会社に自動車運転手として雇われ、右貨物運送のため自動車運転の業務に従事していたものである。

二、被告高橋は、被告会社の右事業の執行として、同会社の大型貨物自動車(自動車登録番号、群一―あ一六三八号)を運転し、昭和三四年一二月二〇日午後五時八分頃、東京都文京区白山方向から国鉄巣鴨駅を経て板橋方向に通ずる路面電車(都電)の軌道および歩道の併置された道路上を、板橋方向に向け豊島区西巣鴨四丁目二番地先都電巣鴨四丁目停留所にさしかかつた際、同停留所に停車中の電車の客の乗降を待つため一時停止したうえ、前進を開始したところ、右電車から降りてその進行方向に向つて左側の歩道に渡ろうとした森本つやに対し、右自動車の車体の略中央部にある荷掛フツク又はその周辺部で左側頭部を強打し、附近の道路上に転倒させ、頭蓋骨骨折の傷害を与えて、その場で同人を即死させた。

三、前記停留所は安全地帯の存しない場所であるから、自動車運転手としては、停車中の路面電車に追いついた場合、客の乗降が終り、前方の道路上を横断しまたは横断しようとする者のいなくなるまで一時停車をすべき法規上の義務があり、そのためには乗降客の有無やその行動に注視し、これが安全を確認したうえ発進すべき業務上の注意義務があるところ、被告高橋は右注意義務を怠り、単に電車の左後方で一時停車したにとどまり、自動車の前方および左右における右電車の降車客等の有無や行動を確めその安全を確認することなく、ために当然に確認しえた筈の森本つやの存在と行動に気づかないまま漫然発進した過失により、前記事故を惹起させたものである。

四、してみれば、森本つやの死亡は、被告高橋において被告会社の事業の執行中に過失によつてした不法行為の結果であるから、被告高橋およびその使用者たる被告会社は、各自それによつて生じた損害を賠償する義務があるというべきである。

五、森本つやは、右事故当時四三才であり、プラチナ産業株式会社に工員として勤務し、当時までに勤続六年に達し、同会社からの信用が厚く、平均一月二〇、四〇〇円の収入をえていたものであるから、右事故により死亡していなかつたとすれば、以後なお一七年間は同会社に勤務を続けることができその間、右月収額と少くとも同額ないしそれ以上の収入を継続的に得ることができたものと認められる。したがつて、同人が死亡しなかつた場合に得べかりし利益は、一月二〇、四〇〇円の収入から同人自身の生活費一月四、〇〇〇円を控除した純収入一六、四〇〇円の一七年分となり、これからホフマン式計算法により中間利息を控除し、一時に支払を受けるとすると、その金額は一、八〇八、四三二円となる。

六、原告森本和行(当時一八才)、同森本周作(当時一五才)、同森本玉子(当時一一才)は、いずれも森本つやの実子として、その死亡により、前記得べかりし利益を喪失したことによる損害賠償請求権を各三分の一宛相続により承継取得し、その金額は各自の分六〇二、八一〇円となるところ、本件事故による自動車損害賠償保険金として、右原告らは三〇〇、〇〇〇円の支払を受けたので、右の各自の債権額から各一〇〇、〇〇〇円を控除する。

なお右原告らは、いずれも幼少若年であり、母つやに扶養されて生活していたところ、本件不慮の災害によるつやの死亡に遭遇し、日常の生活に窮するに至つたばかりでなく、精神的に多大の苦痛を受けたものであり、原告各自につき各一〇〇、〇〇〇円をもつてその苦痛は慰藉されるべきである。

七、原告森本としは、つやの亡夫森本祐盛の実母であり、祐盛夫婦と同じ世帯にあつて、祐盛の死亡後もひき続きつやの扶養を受けて生活していたところ、つやの死亡により、強いシヨツクを受けたばかりでなく、老令の身で生活の安定を失い、かつ、両親の存しないことになつた原告和行ら三名の後見人として日常その監護教育に当ることを余儀なくされ、心身の苦痛のため病床につくに至つたものであり、その精神的苦痛は少くないので、原告としに対しては五〇、〇〇〇円をもつてその苦痛が慰藉されるべきである。

八、よつて、被告ら各自に対し、原告和行、同周作、同玉子は、前記の合計額のうち各六〇二、八〇〇円、同都市しは五〇、〇〇〇円および右各金額に対する訴状送達の日の翌日である昭和三五年一一月四日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

と述べ、なお被告らの主張に対し、

(九) において被告会社の主張する程度の注意をしたとしても、なお損害賠償責任を免れるだけの相当の注意を尽したものとはいえない。

(一〇) において過失相殺を主張するが、森本つやは都電から最後に降車した乗客であり、婦人でありまた雨傘を開くなどのため、他の降車客と一致した行動がとれず、その行動が多少鈍かつたとしても、これをしんしやくに値する過失ということはできない。

(一一) の葬儀料の支払の事実は知らない。

と述べた。

被告ら訴訟代理人は、原告らの請求をいずれも棄却する、訴訟費用は原告らの負担とする、との判決を求め、請求原因に対する答弁として、

(一)  一の事実は認める。

(二)  二のうち、被告高橋が被告会社の事業の執行として、原告ら主張の自動車を運転し、その主張の日時頃その主張の場所を進行していた際、森本つやがその附近の道路上で即死したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三)  三のうち、原告ら主張の注意義務のあることは認めるが、その余の事実は否認する。

(四)  四の主張は争う。

(五)  五の事実は知らない。

(六)  六のうち、原告和行、同周作、同玉子が森本つやの実子であることは認めるが、その余の事実は知らない。慰藉料の額は争う。

(七)  七のうち、原告としがその余の原告らの後見人に就任したことは認めるがその余の事実は知らない。慰藉料の額は争う。

と述べ、更に、

(八)  仮に、被告高橋の運転する自動車が森本つやに接触したために同人が死亡したものであるとしても、同被告に過失はない。すなわち、同被告は、本件事故当日、十分に休養をとつたうえ運転業務に従事したのであり、当日は終日降雨が続き、路面が濡れていたばかりでなく事故当時には暗くて見とおしも悪かつたところから、特に細心の注意を払い、時速三〇粁の速度で進行して本件現場に到着したところ、巣鴨方面から板橋方面に向つて進行中の都電が安全地帯のない巣鴨四丁目停留所に停車したため、同被告は、本件自動車を、その先端が都電の後端と略一線に並ぶ地点で、都電の左側に約一、五米の間隔を残して一時停車した。而して、同被告は、自動車の運転台から都電の乗降客の情況を注視し、その前後部からの降車客各数名が全員前方の車道上を横断し左側の歩道上に移動を完了するのを待つた後、自動車の前方、左右のみならず、自動車の右前部に設置された後写鏡で見うる範囲の右側と右後方にわたり安全を確認し、人影の認められないことを確めてから徐々に発進を始めたものである。したがつて、同被告の行為は自動車運転手としての注意義務の遵守に欠けるところはない。

(九)  仮に、本件事故について被告高橋に過失による不法行為の責任があるとしても、被告会社は、被告高橋の選任監督につき相当の注意をなしたものであるから、被告会社には損害賠償の責任はない。すなわち、(1)被告会社は、被告高橋を運転手として採用するにあたつては、その経歴、人格、運転技術を検査してその採用を決し、現に同人は、昭和三三年、同三五年の二回、群馬県トラツク協会と高崎交通安全協会から無事故運転手として表彰されている。(2)被告会社は、運転業務一般について一年に二月間(毎年大体一〇月から一二月まで)事故防止期間を設け、無事故記録者に賞金を授与して表彰しまた、一年に数回、事故写真等を職場に展示して事故の防止を強調する一方、時折社長から運転に関する注意事項を訓示したり、更に各自動車の出発前には整備員と運転手に必ず自動車の点検を励行させていた。(3)被告会社では、入社後二年以上の運転経験を有し技術の熟練した者だけを選抜して自動車一台につき三人一組とした交替制を採用しており、被告高橋の場合もその一人で、事故前日は長野高崎間の運転業務に従事したので、高崎市の自宅で五、六時間の休養をとらせ、事故当日には他の運転手長岡満に本件自動車を運転させ、同被告を同乗させて東京都中央区日本橋所在の被告会社営業所への貨物輸送の任務につかせ、更に同営業所の運転手仮眠所で同人らに午前一〇時頃から午後三時頃まで仮眠休息させ、その後右営業所から高崎市まで被告高橋に本件自動車を運転させたもので、運転手たる同被告の健康とくに疲労の防止には細心の注意を払つた。

(一〇)  仮に、以上の主張が認められないとしても、本件事故発生については、森本つやにも過失があるので、損害賠償額の算定にあたりこれをしんしやくすべきである。すなわち、同人は本件の都電から降車したのであれば、他の降車客とともに速かに歩道に渡るべきであるのに、他の客がすべて渡り終つた後にもなお漫然と降車地点附近の車道上に立ちどまつていたばかりでなく、本件自動車と都電との間には約一、五米の間隔があり、都電の発車後はその附近に障害物はなく、本件自動車との接触を避けるに十分な余地があつたにもかかわらず、左右の交通情況に注意をすることなくかつ本件自動車の発進の情況にも注意を怠つた点に過失がある。

(一一)  なお原告らは、自ら認める保険金の受領のほか、森本つやの葬儀料三七、七〇〇円を被告会社において支払つているので、これをも財産上の損害賠償額から控除すべきである。

と述べた。(立証省略)

理由

請求原因第一項および第二項のうち被告高橋が被告会社の事業の執行として、原告ら主張の自動車を運転し、その主張の日時頃その主張の場所を進行していた際、森本つやがその附近の道路上で即死したことはいずれも当事者間に争がない。

そこで成立に争のない甲第二号証、乙第二、第四号証、同第三号証の一部、原本の存在および成立に争のない甲第六号証に証人河辺勝の証言、被告高橋定秋本人尋問の結果の一部ならびに口頭弁論の全趣旨を綜合すると、次の事実を認めることができ、乙第三号証の記載内容および右被告本人尋問結果中以下の認定と牴触する部分は、以上に掲記の各証拠ならびに口頭弁論の全趣旨と対比して措信することができない。

本件事故現場附近は、総幅員一五、四米の車道の中央部分に一、五米の間隔をおいて幅一、四米の都電軌道二本が設置されていて、板橋方面に向つて(以下左右の表示については同様)その左側は幅五、五五米の舗装された車道、更にその左側に幅三米の歩道が存し、都電巣鴨四丁目停留所には安全地帯の設備はなかつた。一方本件自動車は、幅二、四六米、長さ八、二五米、車輛重量約五、五屯、右ハンドルの大型貨物自動車であり、事故当時には後部荷台に四屯ないし五屯程度の荷物が積載されていた。また、事故当日は、終日雨が降り続き、かつすでに午後五時を過ぎていたため、あたりはかなり暗くなつていた。

被告高橋は、本件自動車を運転して、前記停留所にさしかかつた際、丁度都電が同停留所に停車したため、右自動車の右側に左側軌道の左端から約一、三米の間隔を残し、約一、三米の間隔を残し自動車の前端と都電の車体の後端とが略一線に並ぶ地点で一時停車した。右都電の後部乗降口からは、数人の乗降客があり、降車客の殆ど左側歩道に渡り終る頃、森本つやは客の最後に右後部乗降口から降車し、その場で傘をさそうとしていた。かくして、都電は、客の乗降が終つたので進行をはじめようとしたその時、被告高橋は、自動車運転席から後写鏡をも利用して視界の及ぶ範囲の前方および左右に歩行者の姿が見えなかつたため、本件自動車を発進させたのであるが、右自動車は運転席の位置が比較的高く、その前方車体の直前ならびに左右の窓の下あたりは見通しがきかなかつたところから、その右側前記降車地点附近に立つていた森本つやの姿に気づくことなく進行し、車体の右側の一部をつやの身体に接触させて路上に転倒させ、右側後車輪の一部でその上半身を轢過し、同人に頭蓋骨骨折等の重傷を負わせて、よつて頭蓋内損傷によりその場で即死させた。

以上の事実に基いて、被告高橋の過失の有無について検討するに、本件当時に施行中の旧道路交通取締法施行令第二六条によると、本件のように安全地帯の存しない停留所にあつては、自動車は、都電の乗客が乗降を終り自動車の前方で都電の左側の道路を横断しまたは横断しようとしている乗客がいなくなるまで、都電の後方で一時停車を続けていなければならない旨定められているのであるから、同被告においては、自動車運転手として、発進をはじめるに先だち、都電の乗降客が車道上にいないことを十分に確め危険を未然に防止すべき注意義務があるところ、前記認定のとおり、もともと、本件自動車はその前方および左右側方至近距離の範囲における見通しがよくないうえ、当時は雨天でしかも日暮時にあたりその見通しは一層よくなかつたこと、他面、乗降客その他の歩行者等においても、昼間ないし晴天の時に比べてその行動は多少とも緩慢であり、降車後直ちに車道から歩道上に移ることは必ずしも期待しがたかつたことがたやすく推知できる情況にあり、にもかかわらず、同被告は、前方および右側における乗降客等の有無つき一応の注意をはらつたものの、十分な注視と安全の確認の方法をつくすに至らないまま、漫然乗降客等がいないものと軽信した結果、都電の発進と殆ど同時に発進をはじめたというのであるから、右は、前記法令の規定に基き自動車運転手に課せられている注意義務を果したものということができず、結局、この点に同被告に過失があつたものといわざるをえない。

したがつて、被告高橋は自ら右不法行為をなした者として、また被告会社はその事業の執行に際し被用者たる被告高橋のなした右不法行為につきその使用者として、それぞれ、よつて生じた損害を賠償する義務を負うものというべきである。

次に、被告高橋の選任監督につき相当の任意をなした旨の被告会社の抗弁につき案ずるに、前掲乙第三号証に証人立川芳郎の証言および被告高橋本人尋問の結果を綜合すると、被告会社においては、被用者たる自動車運転手約一九〇名に対し無事故運転を奨励するため、かねて一定の期間を事故防止期間と定めて無事故記録者に賞金を与えて表彰する方法をとり、また、運転管理者をおいて出発時に運転手の点呼を行い、その際運転に関する所要の注意を与えるとともに飲酒の有無などを点検させ、運転手ならびに整備員をしていわゆる始業点検その他の車輛の点検を励行させていたこと、運転手の過労を防止するため、一車当り運転手三人の制度を設け、自動車の運転業務に交替で当らせるとともに直接運転にたずさわらない者に休息をとらせるよう配慮していたこと等、日頃運転手の監督にかなりの注意を払つていたことは認めることができるけれども、被告会社の事業の執行のための大型貨物自動車の運行業務がとかく事故を惹起しやすく危険性が大きい事情を勘案して考えると、叙上の諸事実をもつてしては、未だ被告高橋の選任監督につき相当の注意を尽したものということはできないから、被告会社のこの点に関する抗弁を採用することはできない。

次に被告らの過失相殺の主張について考察する。さきに認定したように、本件事故の起つた時は丁度雨天の日暮時に当り、その附近がすでに暗くなつていたうえ、森本つやは雨傘をさそうとして立つていたものであるから、このことを事故発生当時のその他の事情ならびにつやが中年の婦人であるとともに考慮するならば、当時同人が事故を避けるために必ずしも十分に機敏な行動をとれなかつたとしても、これを目して損害賠償額の算定につきしんしやくするに値する過失があるものということはできない。

そこで損害の額につき以下に考察する。

成立に争のない甲第一号証、証人松山林平の証言により真正に成立したと認める同第三号証に右証言、原告森本和行本人尋問の結果ならびに口頭弁論の全趣旨を綜合すると、森本つや(大正五年一一月一日生)は、昭和二八年一月に夫祐盛と死別の後、同年三月、亡夫が生前その下請の仕事をしていた関係からプラチナ産業株式会社に入社して以後ひき続き注文品の出庫係として勤務し、日頃働きぶりがよかつたところから会社の上司同僚らから信頼を受けており、昭和三四年一年間の収入は合計二五〇、八一五円であつたこと、つやの家族は、亡夫祐盛との間に、長男原告和行(昭和一六年一二月二三日生)、二男原告周作(昭和一九年一〇月九日生)、長女原告玉子(昭和二三年一月三日生)の三子があるほか亡夫の実母原告としも同一世帯にあり、本件事故までは、右の五人が原告和行の一月八、〇〇〇円程度の収入の助けをえつつ、主としてつやの前記勤務先からの収入により生計を争んでいたことが認められる。而して、右つやの死亡当時の年令、職業、社会的地位、月収、家族構成その他弁論の全趣旨に現われた諸般の事情を考慮すると同人自身のための生活費は年間六〇、〇〇〇円(一月五、〇〇〇円の割合)と認めるのが相当であり、同人の前記年収額から右生活費を控除した一九〇、八一五円をもつて同人の得べかりし利益の数額の算定の基礎とすべきものである。ところで、つやは死亡当時年令四三才であり、同人と勤務先プラチナ産業株式会社との間の前記認定の関係をも考慮するに、特段の反対事情の現われない本件においては、本件事故がなかつたとすると、同人はその後なお少くとも六〇才に達するまで一七年間は右会社に勤務を続けることができ、その間の収入の額も前記認定の額を下まわることはないものと推認することができる。したがつて、同人が本件事故により喪失した得べかりし利益は、一時にその支払を受けるものとして、右一七年間の純利益合計三、二四三、八五五円からホフマン式計算法により年五分の割合の中間利息を控除して算出した一、七五三、四三五円となるから、同人は本件不法行為に基き右金額の損害賠償債権を取得したものというべきところ、つやの死亡により、原告和行、同周作、同玉子はいずれもその子として各三分の一にあたる五八四、四七八円宛を相続により承継取得したわけであり、右原告ら三名が本件事故による自動車損害賠償保険金として合計三〇〇、〇〇〇円の支払を受けたことは原告らの自認するところであり、右金額の三分の一宛を前記各債権額から差引くと右原告らの損害賠償債権は各四八四、四七八円となる。なお被告らの主張にかかる葬儀料の支払の事実は、原告ら主張の右損害の範囲外の事柄に属し、その数額の算定には無関係というべきである。

次に慰藉料について判断する。

本件事故当時、つやの子である原告三名がいずれも若年幼少であり、亡父の老母原告としとともに、主としてつやの収入によつて生活し扶養されていたものであることは、さきに認定したとおりであるところ、本件事故により一家の生活の中心でありかつ右三人の子にとつて残された唯一の親を失う結果となつたわけであり、原告和行本人尋問の結果とこれによつて真正に成立したと認める甲第四号証の二により、また前記事実関係からすれば、右原告ら三名がその後日常生活にも窮するに至つたばかりでなく精神上多大の苦痛を受けたものであることをたやすく認めることができるから、右原告ら三名の精神的損害に対する慰藉料の額は各一〇〇、〇〇〇円宛と算定するのが相当である。

次に原告としがつやの死亡後前記原告ら三名の後見人となつたことは当事者間に争がなく、原告としがつやの亡夫の実母として他の原告らとともに主としてつやの収入により生活を続けていたものであることは前記認定のとおりであり、以上の事実に前掲甲第四号証の二および原告和行本人尋問の結果を併せると、原告としは、つや死亡により強い精神的シヨツクを受けたにとどまらず、生活上の安定を失い、しかも後見人としての労苦も重つて、心身の苦痛から病床に就くに至つたものであることが認められ、かような場合原告とし自身においてもかかる精神的損害に対する慰藉料を請求する権利を有するものと解すべきであり、以上の事実関係を考慮するならばその額を五〇、〇〇〇円と算定するのが相当である。

したがつて、被告ら各自に対する請求のうち、原告和行、同周作、同玉子については、それぞれ前記財産上の損害額および慰藉料の額の合計五八四、四七八円およびこれに対する不法行為の時の後である昭和三五年一一月四日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲においてこれを正当として認容すべく、その余は失当であるからこれを棄却することとする。また、被告ら各自に対し、前記慰藉料五〇、〇〇〇円およびこれに対する右昭和三五年一一月四日以降完済に至るまで右年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告としの請求は全部正当であるからこれを認容することとする。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 井口牧郎)

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